2018年度PLの記憶
前書き
この記事は学生フォーミュラの現役学生、OB、審査委員などの関係者によって12月1日から25日まで一日一記事づつリレーしていくアドベントカレンダーです。2年目の企画になります。
前回の記事
12月17日の記事は开さんの『実際に変態と言われた人の思うこと』でした。
前回の开さんの記事はアドベントカレンダー2020のStudent Formula Advent Calendar 2020 - Adventarからご覧ください。
自己紹介
こんにちは。某大学在籍、Ikuki(逆から読んでね)です。現役時代は学Fでエアロ、ステア設計と2018年度"プロジェクトリーダー"を担当していました。
今回は、彼女と長く付き合う秘訣…とかをリクエスト頂いていましたが、ここで書くには忍び無いので、割愛させていただきます。陳謝。
丁度、現役の後輩から2018年度年間予定が欲しいとリクエストがあったので、頑張って現役時代の記憶を蘇られてたわけですが、当時の自分の役割とはプロジェクトリーダー(以下PL)がメインでした。そこで、今回はその時考えいたこと(どうチーム運営していくか、去年(2017年度)の失敗をどう活かしていくか)、その時に対して今思う点をつらつら書いていこうかなと思います。
ついでに
学F現役時代の2017年度の某大学の空白の一年何があったかが知りたい方は、
私が参加していました昨年度のアドバンドカレンダー2019にありますのでよかったら
とある空白の一年のお話 - kikuryuu’s blogからどうぞ
心掛けたこと
当時、前年度失格直後で同期のメンバー一同は、スポンサー様への失格報告、連絡、OBの方々への報告など、又は今回WDが投稿してくれました"会計"の問題など、活動が途絶えても不思議ではない位、“楽しい"活動とはいえない状況でした。そこでまず、自分が心掛けたことがいくつかありました。
モチベーションの維持
まず一つ目は、メインメンバー(学部2,3年生)のモチベーションをどう維持させるかを考えました。自分のキャパの中で、PLとして何ができるのか…
自分のやったことは、シンプルに活動に1番長く参加して、メンバーとコミュニケーションを取ったり、後輩、同期との距離を縮めて、意見や意思疎通がちゃんと取れる環境を作ることでした。
時にはメンバーの引留め会議をしたこともありましたし、言い合いをすることもありました。個人的には辞めたいと思わないような環境、雰囲気作りを可能な限りした結果、誰も辞めることなく自分の代は終えることができました。
役割を与えましょう
二つ目は、新入生のようなフレッシュなメンバーを辞めていかないように、モチベーションをどう維持させるのかは、また別の話になってきますよね。
最初にだいたい、とてもやる気を持って積極的に参加してくれる人、やろうか迷ってるような人、いろいろな人がいると思います。
その中で見極めて、それぞれの人にあえて簡単ことでもいいので役割や宿題を与えて、少しでも責任感を持ってもらうようにすることで、やめてしまう人は減ると思います。
役割があるかないかで自分は必要とされていると思わせるかどうかは、だいぶ違う結果になる思います。今年はコロナウイルスにより大会が中止になってしまうようなイレギュラーな年で新入生を勧誘することを大変だと思いますが、それでも入ってくれる新入生もいてくれると思います。活動を続けて設計、製作をすること自体が難しいと思いますが、新入生を放置することがないようにしてほしいと思います!!
挑戦する勇気
2018年度車両から、今までの車両と何か違うことがありましたよね。
そうです、羽が生えましたよね。
あの真っ白な車両です。
(2018年度大会写真 オートクロス時の写真)
今までに、前例がない羽根をつけ始めた年でしたねぇ。
2017年度大会に出れなかったでことで、何か一つやり遂げたいと思ったことが羽根の搭載でした。
何一つ、情報がなく自分で他大学方に連絡を取り、いろいろな方にお世話になりました。その節はありがとうございましたm(_ _"m)
しかし、新しいことは思ってる通りには行かず、失敗の連続でした。走行会で自分たちで作ったウイングを自分がスキパで破壊した時の絶望感はすさまじかったのを覚えています(笑)
皆さんもご存じの通り、大会ではエンデュランスでウィングが擦ってしまい走りきることができませんでしたが、自分がした決断に悔いはありませんし、何より新しい挑戦したことが、何よりも自分の今の糧になっています。
最後に
新戦力となってくれる後輩を残せるかは、学生フォーミュラという楽しさや達成感がある反面、辛い事や大変な困難を乗り越えるために重要なことであると思います。
「お金」、「人」、「モノ」というほど「お金」がなければ、活動ができないように、「人」も集まらなくては活動することもできないとは言いませんが(少数でもできてしまうことにはできるので)自分たちの活動の幅を狭めてしまい、一人の負担が膨れ上がる可能性はあるので、人数は大いに越したことはないです。
正直、言い訳にはしたくないですが、個人的には学業のほうには大打撃を食らってはいました。
その結果が学部五年生ということです。はい。
両立できている人すごいですね。ほんと。
正直、遠回りをしないほうがいいですが、回り道をしたから気づくこともありますので、大変な時期ではありますが、何かに挑戦することを恐れずに日々の活動、生活を送ってほしいです。
ながながとなりましたが、お付き合いありがとうございました。
とある空白の一年のお話
この記事はは学生フォーミュラの現役学生、OB、審査委員などの関係者によって12/1から25日まで一日一記事づつリレーしていくアドベントカレンダーです。
前回の記事はwankonyanさんの大事なことはプラモデルが教えてくれたでした。
こんにちは、こんばんは
世間はクリスマスイブですね。
お忙しい方もいらっしゃるかも知れませんが、ちょっくらお付き合いいただけますと、幸いです。
京都市内にあるキャンパスがよく知られがちな、同志社大学のきくいです。もちろん、奈良よりのキャンパスの住民です。すでに出てきた2人(WD.うぇい)とは同期になります。
活動的には、現役(2016年-2018年)で、2018の時にリーダーをしていました。2019年度はせぐうぇいと同じ状況で、僕はスキパ専門ドライバー兼トラックドライバーとして活動していました。
そんな僕が今回、空白の一年のことついての話をしようと考えたときにですね、ふと思ったのは、まず、皆さんが思う同志社大学のイメージってどんな感じなのかなーと思ったわけです。
同志社大学と言えば…
3連続3位表彰式台
コスト審査1位、2位
上位のチーム!
静的審査に強い!etc…
輝かしい成績を残している、いわば強豪校と言われていた時もあったでしょう。
しかし、そんなチームがある年突然、大会から姿を消した時を覚えていますでしょうか。
知らない方もいらっしゃるかと思いますので、下のURLからどうぞ。
これは半分くらい宣伝になってしまいますが…
Technical Diaryからチームブログを漁っていただきますと、2017年のブログにも空白の部分が(5月〜8月)。そうです。活動が活発に行われているはずの製作、走行時期のブログが途絶えてますね。
さてその時期は、一体何をしていたのかということになりますよね?前置きが長くなりましたが、やっと、空白の一年についてお話しになるわけです。
遡ること2年前(2017年)になります。
当時は、一回生7人、二回生1人と学Fでは比較的、少人数のチームで、入ったばかりで右も左もわからない状況でスタートしました。
設計時期も、例年通りDRを行い、OBの方々にも、ご意見やご指摘をいただき、設計は遅れながらも進めており、学内OBが全くいない訳でもなく、むしろ今よりも、多く学内にいらっしゃったと思います。また大学の工作機械の設備も申し分無く製作にはなんら支障の無い程にあります。もしかしたら、他の大学の方からすると「恵まれてる環境にいるじゃないか」と思われる方も多いかもしれません。
今思い返すと本当にその通りだと思います。
ここまでだと、どこに空白の一年を生む要素があるのかと思いますよね。年間予定であったり、技術面であったり、
全部聞けるやん
って思いますよね。
本題に戻りますが、その当時は、言い方が悪いですが、学内OBの方々をうまく活用出来ていなかったと言うのが事実でした。また、当時の自分達は、歴代の先輩方と同じように、上位に入れるだろうと安易に考えており、無知故に恐ろしいことだと思います。
そんなこんなで、設計時期の時も終わったころ、気づけば部員も2人消えてしまい、実働人数は5人になり製作時期を迎えることになります。
ウチの大学特有のとても長くて、終わるのが遅いテスト期間(入試の関係もあり)なので、2月の中旬くらいからフレームの製作をしていくのが、例年の流れです。今はかなり早くフレームが出来上がっているみたいですが。レーザーカット羨ましい
その当時のフレームの精度は今に比べたらとても悪い(笑)。
パイプは、自らで加工してフレームを製作するのが大体の大学で行われてることでしょう。
それにしても酷かった(笑)。
アライメントを行う時もなかなか重量配分がうまく合わず、苦戦していた記憶があります。やっとの事で合わせた後が上記の写真です。フレームが傾くほど捻れ曲がっていました。定常円走行した際には、左回りと右回りで運転のしやすさが明らかに変わるほどでした。(恐らく左回りがやり易かった気がする)
それに加えて、先輩からの引き継ぎがあまりうまく行っておらず、デフのマウント穴位置のズレがあったり、パーシーくんが収まらないから、ショルダーハーネスを作り直したりと、二回も大掛かりな切断をしたこともありました。
そんなこんなで、製作をしている中で、1番最初にやってくる提出書類は皆さんお分かりの通り、SES IADですよね。
そう、SES IAD(舐めてはいけませんよ)
もう一度、言います。
舐めてはいけませんよ
今回の空白の一年を生んだ一番の原因としては、IADを期限以内に提出することが出来なかったからです。
当然ながら、ほかの静的審査の書類を出すこともなく、大会失格を言い渡されました。それに至るまでの話はお話しすると長くなるので、この場では割愛させていただきますが、残念なことに不運の連続でした。あとから、とりあえず提出しとけば、失格は免れたのにとか色々言われることもありましたが、全て後の祭り…
その後は、スポンサー様に大会失格の報告回りをし、OBOGの方々に反省会を開き、当時の活動に対する本音を打ち明けたときもありました。時間が経つにつれて事の重大さを身に染みて思い知らされると共に、自分達の無力さを痛感しました。
正直、チームが無くなってもおかしくないほど、どん底まで落ちました。時には豪大会にも出ようかと、無謀な計画を立てていた時もありました。(全力で止めましたが(笑))
しかしながら、そんな中でも同期のチームメンバーは前向きで、次年度の大会に向けて活動をスタートさせていました。その年の大会には不参加ながらフォローアップ講座に参加し、他大学の車両を見て回り、次年度の車両に考えを巡らせていました。大会会場に居たのは、そう言うことです。
この年の車両が初めて皆さんにお目にかかったのは、10月のエコパ試走会でしょう。それがコースでの初走行でした。その時、自分たちの車両がコースを周回していることに感動したことを覚えています。ちゃんと走るんやと。この時から次年度にウィングをつけて大会に出ようと目論んでおりました。
正直その1年間はしんどかったですし、真っ暗な中を進んで行くようで、苦労は多く、ある意味色々な面で節目の年でもありましたが、自分にとっては今から思うと、とても濃く充実した日々でした。
恐らくあまり経験する事のないことを体験しましたし、そこから這いあがることが出来たのは、やはり同期のメンバー、後輩にも恵まれていたと思います。何より、学Fが好きで集まった『変人』なのかもしれませんね(笑)
今でもラーメンや風呂に行ったりすることもあり、『現役の時と変わらねぇな』なんてときもあります。良い仲間を持ちました。
最後に
大学の数だけチームがある訳で、各々やり方や組織も違い、一概に言えることは少ないですが、言えるとしたら、上下との繋がり、横との繋がりを厚く持つことだと思います。それと学Fを楽しむ事です。
1人ではこの活動をすることが出来ないし、絶対に成り立ちません。だから今しか出来ない事を勉強と共に楽しんで下さい。だからといって課金したら……ね?
今回は空白の一年は何していたのかを綴られていただきました。
特に参考になるような事はあんまりない内容だったかもしれませんが、最後まで読んでいただきありがとうございました。
明日は、大トリのフェンリルさんの外堀埋めたのとヤバい人大会のお話(仮)です!