とある空白の一年のお話

 

この記事はは学生フォーミュラの現役学生、OB、審査委員などの関係者によって12/1から25日まで一日一記事づつリレーしていくアドベントカレンダーです。

 

 

前回の記事はwankonyanさんの大事なことはプラモデルが教えてくれたでした。

 

note.com

 

こんにちは、こんばんは

 

世間はクリスマスイブですね。

お忙しい方もいらっしゃるかも知れませんが、ちょっくらお付き合いいただけますと、幸いです。

 

京都市内にあるキャンパスがよく知られがちな、同志社大学のきくいです。もちろん、奈良よりのキャンパスの住民です。すでに出てきた2人(WD.うぇい)とは同期になります。

 


 

 

活動的には、現役(2016年-2018年)で、2018の時にリーダーをしていました。2019年度はせぐうぇいと同じ状況で、僕はスキパ専門ドライバー兼トラックドライバーとして活動していました。

 

 

 

そんな僕が今回、空白の一年のことついての話をしようと考えたときにですね、ふと思ったのは、まず、皆さんが思う同志社大学のイメージってどんな感じなのかなーと思ったわけです。

 

 

同志社大学と言えば

 

 

3連続3位表彰式台

コスト審査1位、2

上位のチーム!

静的審査に強い!etc…

 

 

輝かしい成績を残している、いわば強豪校と言われていた時もあったでしょう。

 

しかし、そんなチームがある年突然、大会から姿を消した時を覚えていますでしょうか。

 

知らない方もいらっしゃるかと思いますので、下のURLからどうぞ。

 

dufp.racing

 

 

これは半分くらい宣伝になってしまいますが

 

Technical Diaryからチームブログを漁っていただきますと、2017年のブログにも空白の部分が(5月〜8月)。そうです。活動が活発に行われているはずの製作、走行時期のブログが途絶えてますね。

 

 

さてその時期は、一体何をしていたのかということになりますよね?前置きが長くなりましたが、やっと、空白の一年についてお話しになるわけです。

 

 

遡ること2年前(2017年)になります。

 

 

 

当時は、一回生7人、二回生1人と学Fでは比較的、少人数のチームで、入ったばかりで右も左もわからない状況でスタートしました。

 

設計時期も、例年通りDRを行い、OBの方々にも、ご意見やご指摘をいただき、設計は遅れながらも進めており、学内OBが全くいない訳でもなく、むしろ今よりも、多く学内にいらっしゃったと思います。また大学の工作機械の設備も申し分無く製作にはなんら支障の無い程にあります。もしかしたら、他の大学の方からすると「恵まれてる環境にいるじゃないか」と思われる方も多いかもしれません。

 

 

今思い返すと本当にその通りだと思います。

 

 

ここまでだと、どこに空白の一年を生む要素があるのかと思いますよね。年間予定であったり、技術面であったり、

 

全部聞けるやん

 

って思いますよね。

 

 

本題に戻りますが、その当時は、言い方が悪いですが、学内OBの方々をうまく活用出来ていなかったと言うのが事実でした。また、当時の自分達は、歴代の先輩方と同じように、上位に入れるだろうと安易に考えており、無知故に恐ろしいことだと思います。

 

 

そんなこんなで、設計時期の時も終わったころ、気づけば部員も2人消えてしまい、実働人数は5人になり製作時期を迎えることになります。

 

 

ウチの大学特有のとても長くて、終わるのが遅いテスト期間(入試の関係もあり)なので、2月の中旬くらいからフレームの製作をしていくのが、例年の流れです。今はかなり早くフレームが出来上がっているみたいですが。レーザーカット羨ましい

 

 

その当時のフレームの精度は今に比べたらとても悪い(笑)。

パイプは、自らで加工してフレームを製作するのが大体の大学で行われてることでしょう。

 

それにしても酷かった(笑)。

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アライメント後の後姿

 

アライメントを行う時もなかなか重量配分がうまく合わず、苦戦していた記憶があります。やっとの事で合わせた後が上記の写真です。フレームが傾くほど捻れ曲がっていました。定常円走行した際には、左回りと右回りで運転のしやすさが明らかに変わるほどでした。(恐らく左回りがやり易かった気がする)

それに加えて、先輩からの引き継ぎがあまりうまく行っておらず、デフのマウント穴位置のズレがあったり、パーシーくんが収まらないから、ショルダーハーネスを作り直したりと、二回も大掛かりな切断をしたこともありました。

 

 

そんなこんなで、製作をしている中で、1番最初にやってくる提出書類は皆さんお分かりの通り、SES IADですよね。

 

 

そう、SES IAD(舐めてはいけませんよ

 

もう一度、言います。

舐めてはいけませんよ

 

 

今回の空白の一年を生んだ一番の原因としては、IADを期限以内に提出することが出来なかったからです。

当然ながら、ほかの静的審査の書類を出すこともなく、大会失格を言い渡されました。それに至るまでの話はお話しすると長くなるので、この場では割愛させていただきますが、残念なことに不運の連続でした。あとから、とりあえず提出しとけば、失格は免れたのにとか色々言われることもありましたが、全て後の祭り…

その後は、スポンサー様に大会失格の報告回りをし、OBOGの方々に反省会を開き、当時の活動に対する本音を打ち明けたときもありました。時間が経つにつれて事の重大さを身に染みて思い知らされると共に、自分達の無力さを痛感しました。

 

 

正直、チームが無くなってもおかしくないほど、どん底まで落ちました。時には豪大会にも出ようかと、無謀な計画を立てていた時もありました。(全力で止めましたが(笑))

しかしながら、そんな中でも同期のチームメンバーは前向きで、次年度の大会に向けて活動をスタートさせていました。その年の大会には不参加ながらフォローアップ講座に参加し、他大学の車両を見て回り、次年度の車両に考えを巡らせていました。大会会場に居たのは、そう言うことです。

 

 

この年の車両が初めて皆さんにお目にかかったのは、10月のエコパ試走会でしょう。それがコースでの初走行でした。その時、自分たちの車両がコースを周回していることに感動したことを覚えています。ちゃんと走るんやと。この時から次年度にウィングをつけて大会に出ようと目論んでおりました。

 

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幻のDF17車両

 

正直その1年間はしんどかったですし、真っ暗な中を進んで行くようで、苦労は多く、ある意味色々な面で節目の年でもありましたが、自分にとっては今から思うと、とても濃く充実した日々でした。

 

恐らくあまり経験する事のないことを体験しましたし、そこから這いあがることが出来たのは、やはり同期のメンバー、後輩にも恵まれていたと思います。何より、学Fが好きで集まった『変人』なのかもしれませんね(笑)

 

今でもラーメンや風呂に行ったりすることもあり、『現役の時と変わらねぇな』なんてときもあります。良い仲間を持ちました。

 

最後に

 

大学の数だけチームがある訳で、各々やり方や組織も違い、一概に言えることは少ないですが、言えるとしたら、上下との繋がり、横との繋がりを厚く持つことだと思います。それと学Fを楽しむ事です。

 

1人ではこの活動をすることが出来ないし、絶対に成り立ちません。だから今しか出来ない事を勉強と共に楽しんで下さい。だからといって課金したら……ね?

 

 

今回は空白の一年は何していたのかを綴られていただきました。

 

特に参考になるような事はあんまりない内容だったかもしれませんが、最後まで読んでいただきありがとうございました。

 

 

 

 

明日は、大トリのフェンリルさん外堀埋めたのとヤバい人大会のお話(仮)です!